宿題なし!

会社員時代やアルバイト時代も含めると、教育業界に携わって25年にもなります。

いや別に『長くてスゴイでしょ?』と言いたいのではなく、私の中で《教える》という本質が変化してきているのが最近強くなってきていることをお伝えしたいのです。

 

 

私の父は長いこと中学校の教師をしていました。非常に厳しい人ですが、熱い心を持っている正に【熱血教師】でした。

生徒にとって良かれと思ったことには校長の命令に従わないことも多く、ただそれだけに生徒の信頼も厚かったようです。その証拠に塾を開いた後も良く自宅で食事会?宴会?をしていましたし、当時生徒だった某中学校の校長先生や教頭先生が挨拶に来たり、つい数日前も酔っ払ったおじさんから「先生と話したい」とのお電話をいただきビックリしました。元生徒さんだったようです。

 

 

多分私の父の時代の《教える》とは、《わかりやすく楽しい授業をすること》だったのだと思います。今でも公立学校の現場ではそうなのだとも思いますし、学校ではそれで良いとも思います。

私も30代半ばまでは『どうやったら良い授業が出来るか』を常に考えて授業を作り上げていました。

しかしある時、良い授業をして生徒が笑顔であるにも関わらず生徒の学力があまり上がっていないことにも気付きました。つまり、『どうやったら良い授業が出来るか』は【生徒のため】というよりも【自分のため】という意味合いが強かったわけです。

 

それに気づいてからは公立学校とは違う切り口で《教える》ということを考え始めました。その結果、我々の仕事は将来までつながる《自分から学ぶためのサポート》であると思い始めました(この辺は、各塾で異なると思います)。志望校に合格させるよりも大事なことかと思っています。

 

若竹における私の社会の授業は【前半:画像などを使ったオリジナルパワーポイントでの解説⇨後半:リンクした単元の個人トレーニング】としています。あまりベラベラ話しても生徒は聞いていませんから、説明は出来るだけ最小限にとどめています。決められた単元まで進んだら宿題はなし!

この宿題はなし!ですが、社会という知識系の教科だから出来ることです。こういった少し面倒な教科は、宿題を出しても結局【やっつけ】でやる事が多く見られますから、それならばほとんど意味がありません。ならば、授業中に超集中してもらって学習させた方が効果が高いと思ったのです。お母さんたちの「宿題しなさい!」ストレス緩和にも貢献出来ますし(宿題しなさい!は我が家庭で良く見られる光景ですので、多くのお母さんが抱えている問題だと思います)。

 

まぁ、国語や数学、英語はどうしても宿題をやってきてもらわないといけない部分がありますので仕方なく出していますが、究極は【宿題を出さずに成績アップ】だと思っています。

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